今日バイトの面接したんだけど、そのときに思ったこと。
『僕この業界に2年いるんすけど、仕事が楽しくなってきたんですよ』なんてことを迂闊にいうもんで、いくつか厳しい指摘をしたわけ。

最低限の努力として
熱意や誠意を持つ。トラブルの際に出来ない理由だけを並べない。主体を持ち責任から逃げない。現場はカネや受注のバランスにこだわらない。常に関わっているプロジェクトに関連するもの興味をもちコレについての勉強をする。また常に自分のポジションに合わせた勉強は必須。
わかりやすく言えばスペジュールを扱うならスケジューリングと人間に対しての勉強を、お金扱うんだったら前記にプラスして自分のスタイルに合わせた交渉や採算分岐などは最低限必要だ。
つまりはこういった不断の努力をしている人間でなければ仕事の本質は見えてこないし、また『面白く』なるわけがない。
少なくとも、彼の休日の過ごし方を聞いてみたらひたすら遊んでいるだけで努力の要因がまったくない。アルバイト2年経験してそんなこと言ってしまえるなんてのは『仕事をナめている』としか思えない

また彼はこう言う
『カネある会社で、プロジェクト任して欲しいっすね』
カネはあくまでリソースのうちのひとつ。それより人間性です。
何年も下積みを経験し勉強して力をつけひたすら休みなく努力し、信頼を獲てはじめてそういったチャンスを与えられるものなので、そんなこと軽くいうやつには決して任せられないw
まあ、いつまでもアルバイトレベルの発想しかなく、遊んでばかりいる人間には仕事レベルのお話はみっともないからしないほうがいい。
自分がなぜこの業界に『いなければならないか』自問自答し続けて回答をもてるようになってから一人前っぽい仕事の話はしましょう。
そういったわけ。

スーパーのレジ打ちやコンビニバイトじゃないんだからw
っつうかコレで30過ぎってどうかしてるだろ

東証あたりの株式市場を見ると景気は持ち直しているように見えていても、実際のところを考えてみると厳しい状態は続いているなあと痛感することしきり。
黒字転換している製造業や鉱工業を見ていても、リストラや機材関連の効率化でようやく社内コストの対策が済んでいるからそうなっているだけで再雇用までには至っていないし、私たちサービス業まで景気対策の波及効果がやってくるまでには、まだまだ時間がかかるだろうなあと思わざるを得ないなあと。

たちかえって周囲の会社を見渡してみてもあまり状態は良くなっていないどころか、むしろ悪くなっていっている印象がある。先年のマイナス決算の責任を取って会社を辞さねばならない管理職や、現場のスタッフの退社報告が、ひきもきらない状態が続いている。
また、人材派遣や人材紹介の単価についても昨年末に比較して同じスキルや経歴の人間でも20%程度の減額があるので随分下がってきている印象がある。やはり、自己営業力がなく、信用のないフリーランスには仕事が回ってこないのが現状であると再認識せざるをえないなあと。

今後これ以降の雇用情勢については、各社とも慎重にならざるを得ないだろうし、ここで余ってしまった労働力についても国内での再雇用はコストの面からも難しいだろうなあということを考えると、さすがに厳しい印象があるなあ。
中途採用の雇用については早くて半年後、実際は来年の決算終了から2~3ヶ月経過してからになるだろうからあと一年は冬の時代になるのかなあと考えている。

内閣府月例経済報告(9月)http://www5.cao.go.jp/keizai3/2009/0908getsurei/main.pdf
まあ、人はよくいろんなことを見ているなあと思う。
『たまたま、色いろあって若干弱っているだけで、なかざわさんの価値が下がったわけじゃないでしょ?だから(仕事を)出すんですよ、どんどん一緒にやっていきましょう!』また他の社長からも『(仕事を)取れる人、取れない人っているもんですよ、責任もってやれないで言い訳ばかりしている人にはとても(仕事を)出せない。誰が正しいかはみんな見てるから、仕事の集まる人がやっていることは正しいんです。』など先週から、ありがたい言葉をいくつもいただいている感じで。

仕事を取れる人/取れない人、仕事をこなせる人/こなせない人、信頼のおける人/おけない人。能力の有無は絶対的な判断の基準ではなく、要はやる気と誠意という人格の部分が仕事における信頼となると思う。
「人の将来や生き方(選択基準�)についての考え方、すごく知りたいです。」
なんて話が友人のmixiに書かれていたのでちょっと書いてみるかななんて思ってみたり。

きちんと『人』として生き、死にたい。
会社の理念に『信』『義』なんて書いているのでそれから外れる生き方はしたくないかな。
むやみに『信』じるんじゃなくって、その人自身の生き方というやつを信じていければいいと思う。もちろん自覚のある生き方のあるひとのね。未熟でもいいけれど、ガンコではなくて信念もってちゃんと生きてる人と友人でありパートナーでありたい。
また自分を信じて生きていければなんてちょっと思う。

僕的には義理ってのはまた大事で、非効率に見えてもそういうものを大事にして生きていきたいかな。どこの誰とでもあって話す。昔の友人、仕事仲間を忘れず、必ず数年に一回は話す、これはこれからも大事にしていきたい。
『義』というのは正しい行いを守ることでもあるけれど、『悪い』から『責める』のではなく、自分の中で羞悪の心を持ち続ける強さがあればと思う。利得や効率重視の生き方は、ときには自己や他者の『欲望』を拡大していくけれども、これにとらわれず『無私』の心をもてれば、別な発想の中から、たとえば仲間を大事に出来る途や、だれかを守る手立ても考えることが出来ることもあるかもしれないし。

これから先に課題として思うことは、人の弱さをわかり許せるだけの度量をもちたい。というのと、人の狡さを見抜き回避できるような眼を養いたい。まずこの2点。
『弱さ』のある人が『欲望』あるがゆえに『狡さ』をもってしまうケースがあるので、この辺の見極めは実際のところすごく難しいんだよね。
あとはリーダーという立場なのでそれについても考えていかなければいけない。
主観ではなしに、客観的な価値判断と分配、まずこれをしっかりやっていかなくっちゃなあと思う。

『お人よし』『優しすぎる』なんて言われるし、ぶっちゃけ『カネ』とは無縁だけど、個人として不幸だとは思っていないかな。
そんな感じで生きていければ幸せに思う。
日本人の欧米化について思うことがいくつか。
所詮は100年前まで欧米化もされていないアジア人だった人たちが、いきなり欧米人の論理で動けるわけもないというお話。100年前って言うと30年1世代として3~4代前、足尾銅山事件とか北海道の開拓時代、実際僕の祖父なんかがこの辺で生まれて択捉島で亡くなったりしているので結構身近な時代でもあったりする。

数代前まではいわゆるアジア人の論理、地縁、血縁、ムラ社会で動いていた日本人が敗戦をきっかけに価値観をひっくり返されてしまった。教育の欧米化に伴い、本来持っていた価値観が失われ、その結果、世代としてはいわゆる『全共闘世代』『団塊の世代』の方たちからこちら、なんとなく価値観が希薄な生き方をしているようなイメージがある。

だから宗門にも入っていないのに安易な『信念』を振りかざしてみたり、『論理』が『正義』であるかのような錯覚があり、またよくそういった現場に立ち会うこともするけれど、そういったことが目に付くと、彼らが根無し草のように見えて非常に残念に思うときがある。

どう論破しても、『人』は感情によって動くもの、ディベートでいくら勝ったとしても人は動かない。そういった人は『人』を恐怖や利得という、いわゆる『弱さ』で動くものと決め付け、恐怖や騙しで動かそうとする。
人は人によって生かされていて、その基本は『情』でしかない。ベースがアジア人ならなおさらのこと。

ひょっとすると資本主義ってやつは『欲』を刺激するゆえに、性善説を遠ざけ、性悪説を近づけるのかもしれない。
『惻隠』『羞悪』なんてのは、どう考えても死語だよなあ。
ちょっとスローモードに入ろうと思ってみたり。
会社をはじめて一年と2/3が過ぎたけれど、働きづめで自分の身体にも心にも余裕がなくなってきている事実に気がついてみた。社員が増えていくたびに各々についてやることが増え、案件が増え、社員5人くらいだったら全員に目も行き届いたけれど今はとてもじゃないけれどケアしきれない。経理、総務に加え営業、企画、プロジェクトマネージャなんてさすがに12人分のすべてはやりきれない。
ぜんぶをまともにこなそうとして辛くなってきたのはコンシューマラインに加え、企画作業が何本か並列に入ってきてからだから昨年の終わりくらいかなあ。

今日はそれが顕著な形で出てしまったので反省、いわゆるストレスがはみ出ちゃった系のミス。普段であれば受け手が理解できる形で情報を伝達しなければいけなかったし、それもわかっていたんだけれど、電話口ということもあり、受け手に理解できない形の注意をしてしまった。僕からしてみれば何度も同じミスをしてたり、自分に都合のいい言い訳ばかりなので厳しく注意したのだけれど、自分に余裕があったときは、それはそれで個性として認識し、良い方向に誘導できた実績はあったもんなあと。
社長に言われて気がついたのだけれど、確かに一年前であればこんな反応はしてなかったなあと。

というわけで、各担当者を鍛える意味合いもあるのでみんなに仕事を任せて、僕自身は少しスローに余裕を持って考えようかななんて思ってみたり。ぶっちゃけた話、100人の会社を一人でまわそうなんて不可能だしね。
会社を強制労働所にはしたくないから僕自身もいろいろ考え直していかなくっちゃなあ。
ちかごろ他人との価値観の違いについて思うことしきりで。

たとえば自分が100%満足し、全部の人の立場が立つなんてことはまずほとんどない事象で、まずクライアント様を立て、ユーザー様にも納得のいく作品を制作し、発注先に気持ちよく仕事をしていただき、なおかつ自分も会社も我慢でき将来が見えるラインに物事を進めていければよいと思える中で、『自分』だけを出せたことは僕自身、ほとんどないといっていい。24年間150タイトル以上に関わっていても。
僕は人を大事にしていきたい。その上で他人を立てて、そのなかで謙虚に生きていける部分があればいいと思い、そういったことを大事にしていきたいなんて思っている僕にとっては『自分を出しすぎること』自体が非常にみっともなく思えてみたりもする行為だったりする。

なぜ『企画者』が必要なのか、なぜ『生産管理者』は必要なのか、『会社』とはどのように動いて『仕事』はどのように流れていくのか。
自分を殺して静観してみて初めて見える世界もある、自分をではなく他人をよく考えることでより理解が深まっていくから。
他人をないがしろにしていては何一つわかってこないだろう。
今日は台風一過で久しぶりの晴天。
タップリ寝ておきたのは10:30。今日はすこぶる体調が良かったので早速お洗濯。洗濯機を2度回して布団なんかも干し午後は出社することに。
何で出社かって言うと近頃結構体の具合が悪かったので、一気にいろいろやってしまおうと明日火曜の午前中は亡父の母校、東京医科歯科大学の大学病院に行くからだったり。
平日の時間を使ってしまうと業務はたまってしまうし、サービスがおろそかになってしまう。そこをむりやりケアしようとすれば残業をするしかなく、残業→寝不足→効率悪化→残業の悪い流れになってしまうから、今のうちにきちんと前倒しでいろいろこなしておかなきゃならないからね。

仕事でも何でも前倒しでやることが、より良い環境づくりに役立つ。後手後手に回っていくとワントラブル即ピンチになってしまうけれど、なんでも先手先手とやっていれば余裕はできるし信頼値は増していく。とくに技能が必要なわけでも、仕事が多くなるわけでもないこんな心がけで世間の評価はずいぶん違ったものになっていったりもするしね。
言い訳を作って休む人や怠惰な人がトラブルを起こしやすい原因はそんなことにあるんじゃないかなあなんて思うから。
さて今日も頑張ってこようっと。

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今日も自分の仕事ではないはずのケアの仕事で帰宅は22:30.
この間日本選手権の予選会場で微妙な疎外感があったり、久しぶりに電話したマジック関連の友人がわりとぶっきらぼうな対応をしてくれたので一応弁解を。

会社を興して運営していくと言うのは大変なことだということ、時間コントロールに自信のある僕でも例外なくね。もちろん作ったばかりの会社だから今信用をなくすことは出来ないし会社と社員の将来を思えば手抜きは出来ない、現段階では手厚くケアし過ぎてしすぎることはないから。
すべてのスタッフを教育し、会社の風紀や雰囲気を作らなくちゃいけないのも現段階でしか出来ない。あとで急に厳しくしようとしても急に人間は変われないから、上層部だけヌルく下には厳しい会社か、全体的にヌル会社になっていくしかない。『全員で頑張ろう』と言う会社しか成長してはいけないからこの部分でも手抜きは出来ない。
まして普通のことを普通に、経理も進行も営業もしっかりやろうとするとそれだけでも時間がかかるものだよ。

マジックを充分にやる体力があったのは昨年までで、身近な人たちは知っていると思うけれど今僕にはマジックに使っていられる時間と体力がほとんどない。過労も手伝って練習会でも集中できる時間は少なくなるばかりだったから、一旦休止するくらいだし。勢いマジックの知り合いとも連絡できなかったり、会場にいけなかったりする。
だからといって気持ち的にはその誰かをないがしろにしているわけではないのに、たったの半年空けただけで『なかざわさんと付き合うのは微妙』扱いされるのは心外だよ。

社員の生活には責任があるけれど、僕の立場ではマジックをやることには責任はない。
マジックはやめないし、体勢が整えばトーナメントにも復帰できるだろうと思うけれど、高望みかもしれないけれど本当に友人のうちの一人と思ってくれるなら『大変なんだな』と理解してくれると嬉しいなあ。
人に助言をする、意見をするというのは準備に非常に時間がかかり、かつまたそれを無にされても文句の言えない努力のいる行為。また、それをしたばかりに今まで築いた関係も崩れてしまう可能性のある危険な行為でもある。
基本的には人は自分の理解したい方向にしか理解しないもの。
聞きたい言葉しか聞いてくれない、聞きたい意見しか聞いてくれないのはまったく普通なことで、いまさら驚嘆するようなことではまったくない。動機がどんなものであれ人は欲望によって行動していると言うことを理解するのは最低ラインの理解だと思う。
そして第一に人は『信頼できる人間の言葉しか聞かない』、また第二には『人は欲望によって生きている』と言うことを充分に理解することが肝心だと思う。

他人に言うことを聞いていただくためには、時間をかけて信頼を得、その上で彼の欲望や境遇、精神状態を理解した上でそれ前提の言葉を選んで欲望の誘導をし、そして彼がわかりやすい言葉で話し、理解させる必要がある。演出も大事。きちんとモノを話せる雰囲気で、かつそういったタイミングを見極めてから話す。
どうしても言うことをきいて欲しい相手がいるのであれば、そういった手間ヒマが必ず必要になってくると僕は思っている。それこそ恋人にそうするようにね。
他人に伝わらないことを嘆く前に、そういったことがきちんとしていないんじゃないかと思うよ。

どんなにすばらしい意見を持っていても伝わらなければただの遠吠え、理解したくない人にとっては耳障りな雑音に過ぎないのが実情だろう。
きちんと言葉を伝えたいならば手間ヒマは惜しんではいけないと、僕は思う。
今日他社で聞いてきたケースだけれど、ひどい話もあったもんだ。

交渉力のない、または共通の目的を持つずるい集団が交渉を通そうと言うときに必ずと言っていいほど使う方法がひとつある、これは相手がまじめなほど効果があり、責任感があるほど有効な手段でもある。
今日あったケースがまさにそれにあたる。
1、まず相手の出来るだけ体調の悪い、または多忙なときに緊急を装って呼び出す。
2、できるかぎり会議をひきのばし、あえて相手のうんざりするような馬鹿げた会話を続ける。
3、そうこうしているうちに、相手の体調の悪さ、または忙しさから判断力が衰える
4、ころあいを見計らって、前もって用意しておいた解決策らしいものを提示する。
5、体力精神力ともに限界に達している、ないし多忙な相手はミーティングスタッフの無能さに辟易していることも手伝って少しでもマシなその提案をのみやすくなる。
これでも相手が落ちない場合はさらに会議を数時間引き伸ばして、脅したり泣き落としをしたり、相手の弱みに付け込んだりするのだ。

他にも家庭もちに対しては終電間際まで会議を引っ張るとか、子供のいる相手には用事の入りそうなこどもの日や体育の日。恋人もちにはクリスマスイブなんかに無理やりミーティングをしかけるとかもよくやりがちな手ではある。
騙そうと仕掛けてくるアンフェアな相手に付き合うことはなく、それこそ断るべき。そういったタイミングの交渉は僕は絶対にしない。たとえクライアントの招集でも内容と相手次第では時間をシフトさせるなり、『どうしても出て行けないので』と断るケースもあったりする。

業界に限らずこうやって他人を食い物にして生きているズルイ連中は世の中にいっぱいいる。それらに常に備え、不用意な決断をしないようにしていきたい。
先日、古くからのマジックの知人に会って彼が仕事を変えるというのでびっくりしてみたり。なんでもマジックに集中するために仕事を変えるみたい。
権利を取るためあっちこっち転戦するためにはお金が必要→手っ取り早く儲けるにはどうしたらいいか?の思考からアムウェイのディストリビューターをしていくと言う決断をしたらしい。
営業は下地作りが大事、とびこみであればなおのことそんなには上手くいかないものだしね。正直な話を言えば、資格でも取ってきちんと働いたほうがお金はたまると思う。
僕はいまだに『手っ取り早く効率よく儲ける』方法なんて知らないし『手っ取り早くマジックに強くなる』方法なんてわからない。何度もいうけれどどちらも何年もの地道な努力が必要だと思うし実際にいろんな局面で経験を積んでいくしかないと考えている。
自分だけ抜け道を行こうという人間は何においても強くなれないものだよ。

高校の同級生でそういった友人がいる。
彼は身体的にも恵まれ頭がよく要領もよかった。
しかし甘言にさそわれて転職を繰り返し、空いた時間を自分の目標に使っていくことをせず課外の時間は目先の利益のためにパチンコや麻雀をし続けていた。
26歳のとき収入が一番よかった彼は40歳になって一番低い収入になっていた。
なぜだかよく考えてみるといいと思う。
今夜は氷雨、だんだんと寒くなっていく気温に『ああ、もう冬だなあ』なんて思いつつ。
帰りがけにスーパーに寄ってみるとハタハタのよさそうなのが出ていたので醤油と砂糖、酒でさっと煮付けて夕食のアテに。この時期のハタハタは旬なのでさすがに旨い。一杯やりたくなったけれど腰のことを思い出して我慢してみたり。

近頃レンタルオフィスにいて様々な人を見ている関係上、いろいろ考えることも多い。レンタルオフィスは入るのに保証人や収入証明が要らないから今まで見ていた人たちとはまったく別な『意欲なくただ生きている』だけの人たちも結構見る。彼らは一様に人生に絶望し、他人を信用せず、目先の利益だけで動いているイメージがある。
ひるがえって周囲を見渡すとレベルの差異はあれ、結構そういった人たちが多い。特に頭が良い人たちに限って迷うことが多く、安易に流れてそうなっていってしまう傾向がある。仕事や学業は基本的には地道な努力をしてなんぼだと思うんだけれど、そういった当たり前のことをせず自分はツイてないと思っていたり、他人のせいにしたりそんなことばかり目についてみたりする。中途半端に頭がいいから自分に対しての言い訳を見つけることだけは上手いらしい。
相談する際にでも仲間内であたりさわりのない人のところに相談にいき「みんなそうだよね、しゃあない」で安心して済ますようではずっと問題は解決されないし、自分の成長も望めない。
すくなくとも、そういった人間のことを世間では『上昇志向』とは言わない。

地道な努力の結果、信用と経験を得ていくことでしか基本的には成功の道はないよ。
自分の人生で何処に重きを置くかは早めに決めておかないと大変だよとか思う。どこに重点をおいて人生を歩むかを決めておかないと一貫性のない人になってしまうばかりでなく、いつまでも人生を切り開いていけない、流されやすい人になっていってしまうから。
会社の愚痴を言いつつ組織に属さなくちゃ生きていけない人、口ばかりえらそうで自分のやったことの尻をふけない人、他人の価値観を認められず感謝の気持ちをもてない人。弱さゆえにダマす人、自信がなくて隠す人、自分では率先してリスクを負えずいつも尻馬にだけ乗っている人。そういった人たちはそうやって目的も自分の生きる意義もなくダラダラ生きてきたのだろうからね、同情の余地もない。

大事にするのは『仕事』か『趣味』か。『自分』か『友人』か。『今』か『将来』か。それだけでも決めればずいぶん人生の指標にはなると思う。
狭量であったり、独善的であったり、情報を隠匿したり、目先の利益にばかり汲々している上司は部下を育てる求心力に欠ける。誰しも心中軽蔑している人間の指導など受けたがらないから。僕もたいした人格は持っていないけれど共感してくれた昔の同僚からはうれしいことにちょくちょく相談をいただくこともあったり。
でいろいろ他社にいる友人たちの愚痴をきいているといろんなことが聞こえてきて驚いたりもするわけ。弱者には難癖つけて未払いをつづけていたり、ろくに見積もせず受注して破綻しかけているであるとか。そういった話はほんとに千里を走る、担当者レベルであってもよくそういったヤバい会社の話は優先的に出るものだしね。そういった悪事をおこなっている担当は本当に業界の狭さをナメているとしか思えない。たとえばそれが仮に過去かかわったことのある会社であったりすると本当にがっかりしてしまうわけだ。

話を戻すとそういった心無い仕打ちを続けている会社にいる新人技術者たちは不幸だ。仕事のやり方や技術や人脈を教わる前に、言い訳の仕方や上司御の機嫌の伺い方、ダマしのテクニックを覚えさせられたりするから。胸を張れない、やりがいのない理不尽な仕事にはだれだって希望をもてない。給料分と自分に言い聞かせて義務感だけでやっている仕事には身が入らない、正直な話を言えば人生のムダ使いをしているとしか僕には思えない。

同僚担当者ふくむ仕事仲間には希望と共感を、ピンチがあれば責任者が陣頭に立つのはもちろん全員で問題の解決に望む、そういったことをしていければいいなあと、本当にそう願う。
いろいろなことで迷っている人たちはいるけれど、それについて一言。
人間は弱さを持っている、僕自身まったく例外ではなくそれは誰しも持っているもの。能力的な弱さ、精神的な弱さ、性格的な弱さ、肉体的な弱さといったもの諸々すべてから抜け出せる人間はいないと思う。
まず理解すべき肝心なことは、『人間は集団生活をする動物』ってこと、いろんなタイプの人間がいるのは当たり前で社会において適正別に配置されることで、組織として機能するようになっている−これが『適材適所』。
誰しも誰かのようになれるわけでもなく、本人としては誰かのようになれる夢をみていても結局は実質に戻っていく。性格にあわないこと、経験や実績なく背伸びしてスキルの必要なことをしていた場合は必ず破綻するし、周囲に迷惑もかける。

自分に向き合って『自分が何に向いているか』また『どれくらいの能力があるか』冷静に判断できない人に限って、『ストレス』や『運』や『周囲の状況』のせいにして逃げる。本当に実力がある人は自分にたまるストレスもコントロールするし、運の範疇で起きた事故はリカバリーするし、周囲の状況は時間がかかっても改善できるのが普通。

いっぱい人をみてきたけれど、賢しく頭と口を動かして自分にとって都合のいい言い訳をしてきた人間に限って実力はなく人生において失敗し続けているし、誠意なく目先の利潤ばかり追求してきた人間は逆に信用を失って長い目で見れば収入は減っている。
覚悟をもち、愚直に今やるべきことを一生懸命やってきた人間にしか経験値はつかないものだよ。
今日は3Dアニメーションをレンダリングした連番ファイルをごっそり持って六本木のスタジオへ。ファイルがあまりにも膨大なのでファイル転送サービス2個では間に合わず、ハードディスクへ入れての持ち歩きとなる。
なんせ64ものモーション、3000枚を越すレンダリングファイルをクリンナップをした上で持ち込まなければいけないので大騒ぎなワケだ。

仕事をする為の動きが上と僕を含むディレクター以下ではまったく違うのがまず問題。
ついこの間もあったのだけれど『あがってみなければ何とも言えんよ』では現場は2度手間、3度手間を強いられるしコストもかかる。だから『こう作ってください』という細密な指定書がなければ基本的には現場は動かない。だから指示者が上のような人の場合は大抵のプロジェクトは赤字になって締め切りも守れず破綻する。現場がいくら頑張っていても指示者に覚悟がなかったり、怠惰なだけで大多数の現場は不幸になり、目に見えてテンションも落ちてくるのだ。ひょっとすると彼らは創造の指示者でありながら出来上がりがまったく想像できていないのかもしれない、不幸なことだ。
友人から『給与明細』という番組を録画したDVDをいただいたのだけれどその内容について少々苦言をしたいと思う。
先日、『万引きゲーム』なるものを発見した時も『これを作成したディレクターは何を考えているのか?』とそのモラルを疑ったけれども、メディアを作成する側が最低限気にしておかなければならない点がおさえられていないというのは。非常に嘆かわしいといわざるを得ない。

1、映像が公開されたときの社会的な影響について。
この映像を公開するにあたって、Wizards of Coastやタカラトミー、また現在のMtGユーザー、一般視聴者への影響を考えずに公開しているとしか思えない節がある。
高いカードやゲームの難しさなど悪いイメージだけをクローズアップしているようにも見えるこの映像内容では販売促進の宣伝効果にならない。
少なくとも現在のプレイヤー層が若いことを思えばそのご両親がこの映像を見たときの反応は想像に難くない。

2、協力者への利益の還元
今回の取材はクイックシルバーというプレイヤーへの密着取材の形を取っているけれど、この内容で協力者が満足したとは思えない。
本人が真剣に取り組んでいるものに対してああいった映像演出をしてしまうこと事態、どうかしているのではないかなあと思う。少なくとも『棋士』や『プロスポーツ選手』に「将来は心配じゃありませんか?」とか「ご両親はなんと言われていますか?」なんて質問はしないだろうことを思えば取材協力者に対してあまりに失礼すぎる。

モラルやポリシーのない映像を見ると不快になるので精神衛生のため普段はあまりテレビを見ないようにしているけれど、やっぱり不快になってしまった。
目先の利益を追うことで失われる品位や品格もある、自分でも気をつけなくっちゃいけないなあと。
管理という仕事はいろいろいやなことにあたることが多い。まあ結構ストレスがたまりやすいパートではあるのは自覚しているんだけれど、たまに切れそうになることがあったりするのもまた事実だったりも。

会社内のスタッフや部下はまあ仕方がないし、普段見ている分自分への言い訳もきかないから特にストレスは無いんだけれど、自称フリーランスといっている外注さんたちがまたひどい有様であったりもするのは周知の事実。
締め切りを過ぎて連絡しないと報告しないとか、週単位の報告を義務付けても投げてこないとか、それでも『すみません』の一言があればまだしも、お偉いクリエイターの先生方はちょっと違う。
『無理なスケジュールだって思っていたんだよね』
…初めっから言っとけよ、スケジュール調整してやるから。
『いや、べつな仕事入っちゃってさ』
…仕事人としてのプライドは?締め切りすぎてから言う台詞じゃないだろ?
『なんとなく、イメージわかなくってさ』
…待て、プロなら締め切りを守るのは最低限だし、そんな言い訳子供でも使わない。
と、悪びれた様子もない。
まして連絡が取れなくなってしまって、後日聞くと。
『イベントがあったから海外へ旅行行ってたんだよね。』とかいう御仁も存在する。

今はインターネットの発達でコンテンツ作成者は売り手とはいえ、こういった方々には近くにいて欲しくもない。事実をいうと、多少の差こそあれフリーの三人に一人はこんな感じ。『ゲーム製作は社会の底辺』とはよく言ったもんだと思う。
社会不適合者や引きこもりはフリーランスとは言わないよ。こんなことをしていて『プロでござい』とは笑わせる。
今日は横浜のゲーム専門学校からインターンシップ候補生が来るというので3人と面接を。
23歳の大卒と18歳の高卒が2名。一人はマジックで高校生選手権予選でいいセンいってたって履歴書に書いてあったので、PTのTシャツを着て迎撃準備をしてしまうあたり僕も大人げがない(苦笑)
なんせマジックをやっていると普段の対戦相手はそういった年代と同じくらいのかわいげのない(失礼)プレイヤーばかりいるもんで、逆に甘やかしたり同情したり手加減したりなんてしたら失礼に当たるから。

でみんなガチガチに緊張してくるワケだ、2人目の子なんかいくら優しく声をかけても緊張のあまり目が据わっちゃってかわいそうなくらい。で、イロイロ説明しつつ動機を聞いたりプレゼンテーションをやらせてみたりするんだけれど、さすがに割り引いて聞いてあげないと可哀想だなあと。ああ、そういえば僕にもこんな頃があってこんなことがあったよなあと思い出してついついその姿に自分を投影してしまう。僕の18歳のころをおもえばみんなしっかりしていると思うし、熱意とか才能はあると思えるからがんばってほしいなあと思う。
お礼といっては何だけれど一人ひとりに対して丁寧なレポートを担任の先生宛に書いて窓口の担当者にことづてる。彼らの将来にちょっとでも役立てればいいなあなんて思ってもみたり。
朝起きてみるとめまいがしたので熱を測ってみると38.5℃。何とか出社しようと医者に行ってみるも『休んでください』といわれたので今日はおやすみ。
で、昼間寝ていると携帯電話が流行っていることもあっていろんなヒトの話し声が聞こえてくる。嫌いな言葉が結構流行っていて気持悪いなあと思ってみたりも。

【勝組、負け組】
なんだか人生を断定されているような言葉。努力も経験もその人の思考や人格すら否定して勝ち負けの2元に落とし込んでいるようなきがして大嫌い。
『なかざわさんは人生勝組ですよね』とか言われても喜ぶ気にすらならない。

【ニート、フリーター、ヒッキー】
いやね、英語っぽい造語を使っても内容は変わらないんだけれど。
ニートは無職、フリーターは日雇労働者、ヒッキーは社会不適合者だよね。
ニートになりたいとかフリーターで良いやなんていうのは意味がわからない。その上『俺ヒッキーだから』なんて言い訳、どこで通用すると思っているんだろう?
造語を使うことで現実逃避をすると言うような場当たりな考え方をするからそうなるんじゃない?とそう思わざるを得ない。

なんだか総じて『努力しません、でも楽して儲けたいです』っていう会話が多くってイヤになってみたりも。
今日昼過ぎに母親からTELがあった。
『和博いったいどこにいるの?』ィャ待てオフクロ、あんた僕の家にTELしてんじゃないのよ?
「家で普通に仕事してるよ、そんなにあわてちゃってどうしたの?」
『今警察から電話があって昨日あなたが酔っ払って女の子襲った挙句パンツ脱がしたとかで拘置されているって話が・・・』あー、オレオレ詐欺ね。
「オフクロ、息子に対する信頼をどの辺で落としてきたのよ?そもそも別回線で、僕の携帯に電話して確認とれば良いじゃない」
『留置場の角で泣きじゃくってしまって、事情聴取ができないほどだって話だったから』
「今ここで話しているのは和博っていうあなたの息子さんだけれど、他に和博って名前つけた子供を産んだ覚えある?」
『あるわけないでしょ!』
「じゃあそれは『オレオレ詐欺』だから警察通して被害届だしとくように、実被害あった?ナンバーディスプレイ控えてる?」
『警察に勤めている叔父に確認させます、って言ったら、後で電話しますって切ったから被害はないけれど。本庁の叔父さんには電話しちゃったわよ』
…本庁でキャリアやっている叔父貴にそんなことでTELしたら減点対象にしかならんでしょうに。
「叔父貴には僕から電話しとくわ。気持ちはわかるけれどあんまりつまらん心配しないよーにね。」

叔父貴の携帯にはつながらなかったので警視庁に電話して携帯番号を伝え、携帯からTELしてもらうようにして待つこと少々。
「あ、叔父貴?」
『和博、やったのか?どこの留置場か言え!』
「ああ、あれ『オレオレ詐欺』だってば」
『オレオレじゃなくって、どこの留置場だ?』
「やってないって言ってるだろ?人の話を聞けよ!」状況説明して一応落着。
被害届は僕からの電話による口頭記述としてもらって即犯人グループを追っかけてもらうことに。

どうやら僕は酔っ払って女の子にエッチを強要し、パンツを脱がせたあと警察に捕まり拘置された挙句なにもしゃべれず留置場で泣きじゃくっている中年のおっさんらしい(苦笑)
じっさいそんなヤツに見られるのもハラがたつけれど、そんなつまらないシナリオで引っかかってしまう人たちもおおい。警視庁のキャリア組を長年勤めていた叔父や、中学高校と才女の名をほしいままにした母親でさえ情が絡むと判断が鈍る。
一日100件に電話して10日に1回でもひっかかればペイできるんだからやるやつがあとを絶たないのは理解の範疇だけれど、犯罪とは思ってないのかねえ。こういう犯罪の大半は10代の連中だから罪がないとでも思っているのかなあと。
僕の名前を知っていたことについても納得がいっていない、市役所ないし警察のデータ-ベースがダダ漏れになっている危険性もあるなあと、コワイコワイ。

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