第29回昌熾会展二日目のこと
2010年11月3日 書道今日は第29回昌熾会展二日目、今回は準備などをけっこうしたからか、いろんなお役はなかったので、結構のんびりと会場で作品をひとつひとつじっくりと鑑賞できたのがよかったかなあと。
夜は『木曽路』で授賞式、夜遅くに帰宅。
太無先生のお話によく耳をかたむけていると、その作品になにがあるのか、またないのかがよくわかる。経験のない僕が、『書的なクオリティ』を見出すには先人の言葉を自我(プライド)なく鵜呑みにして従うことが最重要で、また、そういった怜悧な評価の目で、言い訳なく自分の作品を常にみれなければならないと思う。
僕がいままでしてきた経験で一番役に立っているのは、作品を出すということは『不特定多数の人間を対象として言い訳のまるできかない場に、自分をさらけ出す行為』ということがしみついていること。
作品を出した瞬間に「イヤ、仕事でできなくって」「センスなくって」「体調がよくなかったから」なんてことは一切関係なく、『自己のエンターテイメントを評価』されてしまう。僕の場合、作品は、同時に商品でもあるから『未完成』であることなんかは『買い手』は知ったこっちゃない。ゲームなんか発売後に言い訳なんか絶対にきかない、大バグ出したら評価どころか、倒産、破産モノだしね。
出してるだけで満足、賞とってるだけで満足では、『芸』『文化の継承』には程遠いと感じてしまっている。
でもまあ、これはプロレベルのお話。大多数が手習い、そういったプロの意識レベルで動いているのは5%に満たないんじゃないかと思うから、仕事でもないし、マア仕方ないし、他人に話しも強要もしないけれど。
誤解をしないでほしいんだけれど、僕はゲームやCGのプロで書のプロではないし、指導者でもないのであくまで『作品』に対してこんな見方もあるんだよレベルのオハナシ。
やることもやらないで『才能』のせいにしてほしくない、それこそ自分の『才能』に申しわけないと思ってほしいなあと思う。
夜は『木曽路』で授賞式、夜遅くに帰宅。
太無先生のお話によく耳をかたむけていると、その作品になにがあるのか、またないのかがよくわかる。経験のない僕が、『書的なクオリティ』を見出すには先人の言葉を自我(プライド)なく鵜呑みにして従うことが最重要で、また、そういった怜悧な評価の目で、言い訳なく自分の作品を常にみれなければならないと思う。
僕がいままでしてきた経験で一番役に立っているのは、作品を出すということは『不特定多数の人間を対象として言い訳のまるできかない場に、自分をさらけ出す行為』ということがしみついていること。
作品を出した瞬間に「イヤ、仕事でできなくって」「センスなくって」「体調がよくなかったから」なんてことは一切関係なく、『自己のエンターテイメントを評価』されてしまう。僕の場合、作品は、同時に商品でもあるから『未完成』であることなんかは『買い手』は知ったこっちゃない。ゲームなんか発売後に言い訳なんか絶対にきかない、大バグ出したら評価どころか、倒産、破産モノだしね。
出してるだけで満足、賞とってるだけで満足では、『芸』『文化の継承』には程遠いと感じてしまっている。
でもまあ、これはプロレベルのお話。大多数が手習い、そういったプロの意識レベルで動いているのは5%に満たないんじゃないかと思うから、仕事でもないし、マア仕方ないし、他人に話しも強要もしないけれど。
誤解をしないでほしいんだけれど、僕はゲームやCGのプロで書のプロではないし、指導者でもないのであくまで『作品』に対してこんな見方もあるんだよレベルのオハナシ。
やることもやらないで『才能』のせいにしてほしくない、それこそ自分の『才能』に申しわけないと思ってほしいなあと思う。
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