日本人の欧米化について思うこと
2009年1月3日 意見と異見 コメント (1)日本人の欧米化について思うことがいくつか。
所詮は100年前まで欧米化もされていないアジア人だった人たちが、いきなり欧米人の論理で動けるわけもないというお話。100年前って言うと30年1世代として3~4代前、足尾銅山事件とか北海道の開拓時代、実際僕の祖父なんかがこの辺で生まれて択捉島で亡くなったりしているので結構身近な時代でもあったりする。
数代前まではいわゆるアジア人の論理、地縁、血縁、ムラ社会で動いていた日本人が敗戦をきっかけに価値観をひっくり返されてしまった。教育の欧米化に伴い、本来持っていた価値観が失われ、その結果、世代としてはいわゆる『全共闘世代』『団塊の世代』の方たちからこちら、なんとなく価値観が希薄な生き方をしているようなイメージがある。
だから宗門にも入っていないのに安易な『信念』を振りかざしてみたり、『論理』が『正義』であるかのような錯覚があり、またよくそういった現場に立ち会うこともするけれど、そういったことが目に付くと、彼らが根無し草のように見えて非常に残念に思うときがある。
どう論破しても、『人』は感情によって動くもの、ディベートでいくら勝ったとしても人は動かない。そういった人は『人』を恐怖や利得という、いわゆる『弱さ』で動くものと決め付け、恐怖や騙しで動かそうとする。
人は人によって生かされていて、その基本は『情』でしかない。ベースがアジア人ならなおさらのこと。
ひょっとすると資本主義ってやつは『欲』を刺激するゆえに、性善説を遠ざけ、性悪説を近づけるのかもしれない。
『惻隠』『羞悪』なんてのは、どう考えても死語だよなあ。
所詮は100年前まで欧米化もされていないアジア人だった人たちが、いきなり欧米人の論理で動けるわけもないというお話。100年前って言うと30年1世代として3~4代前、足尾銅山事件とか北海道の開拓時代、実際僕の祖父なんかがこの辺で生まれて択捉島で亡くなったりしているので結構身近な時代でもあったりする。
数代前まではいわゆるアジア人の論理、地縁、血縁、ムラ社会で動いていた日本人が敗戦をきっかけに価値観をひっくり返されてしまった。教育の欧米化に伴い、本来持っていた価値観が失われ、その結果、世代としてはいわゆる『全共闘世代』『団塊の世代』の方たちからこちら、なんとなく価値観が希薄な生き方をしているようなイメージがある。
だから宗門にも入っていないのに安易な『信念』を振りかざしてみたり、『論理』が『正義』であるかのような錯覚があり、またよくそういった現場に立ち会うこともするけれど、そういったことが目に付くと、彼らが根無し草のように見えて非常に残念に思うときがある。
どう論破しても、『人』は感情によって動くもの、ディベートでいくら勝ったとしても人は動かない。そういった人は『人』を恐怖や利得という、いわゆる『弱さ』で動くものと決め付け、恐怖や騙しで動かそうとする。
人は人によって生かされていて、その基本は『情』でしかない。ベースがアジア人ならなおさらのこと。
ひょっとすると資本主義ってやつは『欲』を刺激するゆえに、性善説を遠ざけ、性悪説を近づけるのかもしれない。
『惻隠』『羞悪』なんてのは、どう考えても死語だよなあ。
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