父親の遺稿集が完成したこと
2006年8月29日 生活今日は出来あがった父親の遺稿集が300冊届くというので、それを搬入しに八王子の実家まで。到着してみるとすでに搬入は業者が済ませてあり、僕は何もすることがない感じ。
母親が喜んで昔話をするのでそれに付き合いつつアルバムをめくると、懐かしい顔と懐かしい記憶が思い出される。
教えを請いたい人物はすでに亡く、自分が立ち周囲に影響を与えていかなければならない立場にいる自分が齢若い友人たちに相談するにはちょっとばかり重いことで困ったときに、果たしてどう解決していいものかと少々思案してみたりも。
僕自身はわりと友人には恵まれているような気はするから少なくとも愚痴の相手には困らないけれど、そうでない人たちがどうやって人生の苦境を切り抜けていっているのか。大変だなあと思う。
母親が喜んで昔話をするのでそれに付き合いつつアルバムをめくると、懐かしい顔と懐かしい記憶が思い出される。
教えを請いたい人物はすでに亡く、自分が立ち周囲に影響を与えていかなければならない立場にいる自分が齢若い友人たちに相談するにはちょっとばかり重いことで困ったときに、果たしてどう解決していいものかと少々思案してみたりも。
僕自身はわりと友人には恵まれているような気はするから少なくとも愚痴の相手には困らないけれど、そうでない人たちがどうやって人生の苦境を切り抜けていっているのか。大変だなあと思う。
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