公開情報の難しさについて考えてみたこと
2003年9月4日 意見と異見インターネット上で書かれた物はすべて公開情報という原則がある。
ネット人格とリアル人格とを使い分ける人もいるけれど、その世界が狭い物。こと対戦ゲームであるマジックにおいてネット人格は基本的に使えない。
あるαという集団に近しいA君がネタとして周囲のプレイヤーの言を面白おかしくネタっぽくいろいろ書いたとする。それがたとえば『周囲のプレイヤーがイカサマ師』ということを意味するようなことだとしよう。そのA君はあくまで『ネタ』として冗談で書いているのかも知れないけれど、モノがモノだけにケースによっては最悪の事態を招くことがあり得る。
まず発信源の問題として、そのA君の人格が周知の事実として『冗談をいわない』とか『まじめである』とか『面白いこという人じゃない』と見られていた場合、受手からすればその情報はかなりの信憑性を持っている事になる。以後そのαという集団はチーターの巣という事にされてしまう可能性があるという事は否めない。
また受信側の問題として、そのA君がどういう人かを知らないので、その前後の文章を見て判断してくれる人ならまだしも、そうでない場合のケースのほうが多いと思われる。そうした場合、現状のトーナメントシーンがそういうものだと誤解してトーナメントマジックに幻滅しマジック自体から離れていくことすらあり得る。実際のところ、僕も2年前にPTQやグランプリに出始めるまで誤情報によってトーナメントはそういうものだと思わされていたしね。
そこまで気をまわしてはじめて情報発信側になりうると僕は判断している。どんな人がどのような精神状態で見るかわからないので、『ネタ』も含めできうる限り公開された場所でいいかげんな発言は控えるべきと僕は思う
ネット人格とリアル人格とを使い分ける人もいるけれど、その世界が狭い物。こと対戦ゲームであるマジックにおいてネット人格は基本的に使えない。
あるαという集団に近しいA君がネタとして周囲のプレイヤーの言を面白おかしくネタっぽくいろいろ書いたとする。それがたとえば『周囲のプレイヤーがイカサマ師』ということを意味するようなことだとしよう。そのA君はあくまで『ネタ』として冗談で書いているのかも知れないけれど、モノがモノだけにケースによっては最悪の事態を招くことがあり得る。
まず発信源の問題として、そのA君の人格が周知の事実として『冗談をいわない』とか『まじめである』とか『面白いこという人じゃない』と見られていた場合、受手からすればその情報はかなりの信憑性を持っている事になる。以後そのαという集団はチーターの巣という事にされてしまう可能性があるという事は否めない。
また受信側の問題として、そのA君がどういう人かを知らないので、その前後の文章を見て判断してくれる人ならまだしも、そうでない場合のケースのほうが多いと思われる。そうした場合、現状のトーナメントシーンがそういうものだと誤解してトーナメントマジックに幻滅しマジック自体から離れていくことすらあり得る。実際のところ、僕も2年前にPTQやグランプリに出始めるまで誤情報によってトーナメントはそういうものだと思わされていたしね。
そこまで気をまわしてはじめて情報発信側になりうると僕は判断している。どんな人がどのような精神状態で見るかわからないので、『ネタ』も含めできうる限り公開された場所でいいかげんな発言は控えるべきと僕は思う
コメント